プリキュアがバイブルになったとき
諸君、私はプリキュアが好きだ...
いい年こいた成人男性がプリキュアを見てむせび泣くには理由がある。
同志とはそれを共有したい。
まだプリキュアをよく知らない人には、この記事が良ききっかけになることを願う。
回心のとき
初めて視聴したプリキュアは スタートゥインクルプリキュアだった。
宇宙を舞台に未知の存在や文化との交流を描き、不安や恐怖との向き合い方をプリキュアたちの行動で示した。
しかし、まだバイブルにはならなかった。
プリキュアがバイブルになったのはYes!プリキュア5 第24話を視聴したとき。心は昇華し涙が溢れ出し、プリキュアは神になった。文字通り崇拝しているし、倫理基準はプリキュアの教えとなった。
考察のとき
プリキュアがバイブルになってから、プリキュアが頭から離れず無意識にプリキュアのことを考えるようになった。
そのうちにある疑問が現れた。避けようもない、なぜあの時あれほどにも心が満たされ、涙を抑えることができなかったのか。
そして、幸いにもヒントをすでに持っていた。創作術と心理学である。次の書籍はその理解にとても役立った。
- 嫌われる勇気
- 荒木飛呂彦の漫画術
アドラー心理学とプリキュア
嫌われる勇気は対話形式によってアドラー心理学の理解されにくい点をかみ砕くように解説する本である。
プリキュアと関連性を持つのは「勇気」というテーマである。
まずはプリキュアにおける勇気をみる。プロデューサーを務め作品に多大な影響を与えた鷲尾天氏のよると、プリキュアらしさとは「困難に対しても凛々しく自立すること」と述べられている。
web上で勇気と検索すると次のような結果を得られることから、プリキュアらしさが勇気と近しいことがわかる。
勇気(ゆうき、希: ἀνδρεία, 羅: fortia, 英: courage)とは、普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。勇ましい強い心をいう。語義解によれば、いさむ(強)にはつよい、悪い、乱暴の意を含む。
いさましい意気。困難や危険を恐れない心。
プリキュアの勇気は強大な力を持つ相手との戦いの中で発揮されることが多い。それだけであればよくあるストーリなのだが、プリキュアは戦闘時によく対話が挟まれる。この対話の中にプリキュアの「勇気の解釈」が明確に語られている。抜粋しよう。
勇気をくじかれた仲間に対して
夢原のぞみ「5人一緒なら無理なことなんて何もない、何でもできるんだよ」
出典 - Yes!プリキュア5 第24話「新たなる5人の力!」
いずれ訪れる衰退に恐怖し絶望した相手に対して
デスパライア「おまえはどんな時もあきらめず希望を持ち続けている」
「怖いと思ったことはないのか」
夢原のぞみ 「怖いよ、今でも怖いと思ってる」
「でも平気だもん」
~ 中略 ~
夢原のぞみ 「私はみんなと一緒にがんばっていいるだけだよ」
平易な言葉で、仲間と一緒なら何でもできるというメッセージが伝わるだろう。
恐らく、この平易な言葉に感動することはないだろう。問題なのは誰がいつこのセリフを言ったのかにある。言葉の意味は状況などに応じて大きく変化することを直感的に理解できるかもしれないが、それは次の段落で創作術として述べる。
勇気に話に戻すと、Yes!プリキュア5における勇気は仲間と一緒かどうかにかかっているようだ。これは、アドラー心理学と親和性が高く、そのまま説明することができる。
アドラー心理学では「勇気を持てるのは、自分に価値がある思えた時だけ」という考えがある。これは共同体感覚という概念から説明することができる。共同体感覚とは、ここにいてもいい」という共同体に属する感覚であり、次の3つの要素から成り立つ。
- 自己受容... 他者の評価を気にしない
- 他者信頼... 無条件で信頼する仲間が存在し、それによって貢献する仲間がいるという認識をもつ
- 他者貢献... 他者の役に立てるという感覚、それによって自分の価値を認められる
この3要素は連鎖的な関係にある。つまり、自己受容することで初めて他者信頼できる。他者信頼することで他者貢献する相手ができる。他者貢献することで自己受容を高められる。
そして、「自分に価値がある思えた時だけ」というのは共同体感覚を持てた時だけという意味であり、勇気を持てるのは共同体感覚を持っている時のみだというのがアドラー心理学の主張である。
例えば、初めて友達を作ろうと声をかけるシーンを思い浮かべてみる。きっと、手を強く握り不安をこらえながらも、覚悟を決めて目を据えた姿には勇気という言葉がふさわしいだろう。
プリキュアも同じである。親近感を持てるようにと、身近な性格をもった登場人物たちは不安や恐怖に一度は屈服してもあきらめず最後まで立ち向かい、その作品のテーマにかかわる大切なもののために勇気を発揮してきた。一年間向き合ったテーマに対して自らの答えを述べる勇姿に対して感涙は必然だった。
ジョジョとプリキュア
ジョジョシリーズの作者荒木飛呂彦氏が苦労と膨大な調査を重ね、漫画制作のためのノウハウをまとめたのが「荒木飛呂彦の漫画術」である。
物語を創作するうえで基本的な要素を分析しているため、たとえプリキュアだろうと例外なく分析の応用をきかせることができる。
基本的な要素とは次の5つのことである。
- キャラクター
- ストーリー
- 絵(表現)
- 世界観
- テーマ(作品で表現したいもの)
上の5要素を考慮したうえで、「荒木飛呂彦の漫画術」ではいかの読者の共感を引き出し、漫画の世界に没入してもらえるかという点に焦点を合わせ、様々な工夫が紹介されている。
プリキュアを分析するうえで重要な点は「勇気」である。なぜなら、「荒木飛呂彦の漫画術」では勇気が最も共感を得られると分析しているからである。ここでの勇気は「何かに立ち向かっていくこと」とされている。より具体的には、キャラクターの動機から生じた信念に基づいて、困難を乗り越える姿によって勇気の発露が表現できると述べられている。
例えば、ジョジョシリーズにおいては、倒すべき宿敵が「お前の親友を生き返らせてやるから攻撃をやめてくれ」という究極的な選択を投げかけた時に、主人公が自らの信念に基づき苦渋の選択をする姿を描くことで、読者の共感を引き出し、物語に没入させるという方法が挙げられている。
プリキュアにも同様の勇気が描かれている。自らの目的のために、どれだけ強い力を持つ相手にも立ち向かう姿はジョジョと変わりない。
以上から、「言葉の意味は状況などに応じて大きく変化する」ということ説明できる。つまり、発言したキャラクターの信念によって、そのセリフに一貫性があるのか、そもそも勇気を必要とするセリフなのか変化するため「言葉の意味が変わる」といえる。
まとめると、キャラクターの勇気を理解するためにはその目的や信念を把握していなければ困難である。そして、プリキュアは1年間を通してほぼ毎週その活動を見ることができるので、そのキャラクターが何をしたい人で、その動機な何なのかよく理解できるのである。
その結果、プリキュアが勇気をもって立ち向かう姿に引き込まれるのは必然といえるだろう。
おわりに
この記事は数か月温めた内容を一晩で書きだしたものであるため、不適当な表現からよく理解できな部分があると考えられる。そのため、建設的な批判を歓迎する。